村竹ラシッドの両親が凄すぎる?トーゴ×日本の国際派アスリートが誕生!

 

村竹ラシッド
引用元:JAPAN AIRLINES

2024年パリオリンピックで、日本人初となる男子110mハードル決勝進出を果たし、大きな注目を集めている選手がいます。

村竹ラシッド(むらたけ らしっど)選手です。

今回の東京世界陸上でもメダルが期待されていますね。

その圧巻のパフォーマンスの背景には、両親の存在が大きく影響していることをご存知でしょうか?

 

父は西アフリカ・トーゴ出身の元陸上選手、母は日本人という国際色豊かな家庭で育った彼は、多文化に触れながら独自の価値観と強さを身につけてきました。

今回は村竹ラシッド選手に焦点を当て、彼の家庭環境やご両親の人物像、そしてアスリートとしての成長に与えた影響を徹底的に深掘りしていきます。

村竹ラシッドの両親はどんな人?国籍や職業が注目!

村竹ラシッド選手は、陸上男子110mハードルの日本記録保持者として、今や世界中から注目を集めるアスリートです。

その彼のルーツには、「トーゴ×日本」という国際的な家族背景がありました。

ハードルを越える村竹ラシッド
引用元:日本陸上競技連盟

父親はトーゴ共和国出身の元陸上選手、母親は日本人というハーフであり、2つの文化をミックスした家庭で育ったことが、彼の強さの源にもなっています。

特に注目すべきは、両親の経歴とその教育スタイル。

父親は西アフリカのトーゴという国から来日し、日本で家庭を築きました。

母親の名字は「村竹」ということから広島や島根など中国地方に多い名字のためそこの出身と推測されます。

息子の活躍をLINEで応援するなど、心温まるエピソードも多く紹介されています。

(しかし細かい情報は明らかになっていません。)

 

家庭内では日本語が中心だったと考えられますが、多文化に触れる環境が彼の柔軟な考え方や語学力、国際的な対応力を自然と育てたようです。

さらに、お父さんは陸上競技の跳躍種目で活躍していたとのこと。

村竹選手がスポーツに興味を持った背景には、こうした家庭環境と遺伝的な要素も大きく影響しているのでしょう。

お兄さん
お兄さん
陸上競技を始めたのは、お父さんの影響でしょう。

日本短距離界の新たなスターになりそうだニャア~!
ねこ
ねこ

 

父親はトーゴ出身の元アスリート!驚きの経歴とは?

村竹ラシッド選手の父親は、西アフリカの小国トーゴ出身です。

トーゴといえば、コーヒーやカカオの名産地として知られ、陽気でエネルギッシュな人々が多い国です。

人口の7割以上が35歳未満という若々しい国でもあり、国内では音楽やダンス、祭りが日常的に行われています。

 

そんな文化的に活気あふれるトーゴで育った父親は、陸上の跳躍種目で活躍していた元アスリートです。

正確な競技種目や戦績は公表されていませんが、「元選手」としての経験が、息子・ラシッド選手の競技人生に大きな影響を与えていることは間違いありません。

トーゴの風景
引用元:アフリカ旅行の道祖神

本人も、技術的なアドバイスを父親からもらうことが多かったと語っており、その内容は専門的かつ実践的だったそうです。

スポーツ選手にとって、「親が同じ競技をやっていた」というのは大きなアドバンテージになります。

技術だけでなく、競技に対する考え方やメンタルの整え方、勝負の厳しさなども、自然と学ぶことができるからです。

 

さらに、父親は日本という異国の地で家族を持ち、息子を世界レベルの選手に育てあげました。

言語や文化、価値観の違いを超えて、強く優しく息子を支えた父の姿は、まさに“陰のコーチ”とも言えるでしょう。

 

母親は日本人で「村竹」姓の由来に注目!応援エピソードも

村竹ラシッド選手の母親は日本人です。

名字の「村竹」は全国的にも珍しい姓で、特に広島県や島根県など中国地方に多く見られることから、母方の実家がその地域にある可能性が高いとされています。

村竹選手のフルネームが「ラシッド・村竹」とはならず、「村竹ラシッド」となっている点からも、母方の姓を名乗っていることがわかります。

日本において外国籍の父と日本人の母の間に生まれた子供が、日本国籍を選択する際に母親の姓を使うことは珍しくありません。

家庭内での言語や文化は主に日本的なものが中心だったと思われますが、母親はただの“お母さん”ではなく、アスリートの母としても深い愛情と理解を持ってラシッド選手を支えてきました。

とくに印象的なのが、2024年のパリオリンピックにおける“応援LINE”のエピソード。

ラシッド選手が決勝進出を決めた後、現地に駆けつけた母親は、レース直前に

「顔が怖いぞ(笑)」

「楽しんで走ってね」

というLINEメッセージを送り、緊張していた息子をリラックスさせたそうです。

このやり取りからも、母親がどれほどラシッド選手のメンタル面を支えていたかが伺えます。

ガッツポーズの村竹ラシッド
引用元:日刊スポーツ (ガッツポーズの表情は優しい笑顔が見られる)

また、村竹選手自身が「性格が優しい」と周囲に言われることが多いのも、母親譲りの温かさから来ているのかもしれません。

表には出ないけれど、常に陰で支える存在ですね。

母の存在があってこそ、村竹ラシッド選手は世界の舞台に立てたのでしょう。

国際結婚の家庭で育った村竹ラシッドに与えた影響とは?

村竹ラシッド選手は、トーゴ人の父と日本人の母という国際結婚の家庭に生まれました。

2つの異なる文化や価値観の中で育ったことで、彼には他の選手にはない視点や強みが備わっていると考えられます。

例えば、子供の頃から多様な文化に触れてきたことで、自然と「違いを受け入れる柔軟さ」「適応力」が身についたとの声も多くあります。

実際、彼の競技スタイルや発言には、“自分の枠にとらわれない発想”が垣間見えます。

その一例が、パリ五輪の入場シーンで見せた「ジョジョ立ち」のシーンです。

ジョジョ立ちの村竹ラシッド
引用元:中日新聞

このパフォーマンスはアニメ好きの後輩アスリートとの交流からインスパイアされたもので、会場の観客やSNSを沸かせました。

「自分らしさを楽しむ」

「エンターテイメントも大事にする」

という姿勢は、国際感覚のある選手ならではのセンスとも言えるでしょう。

また、異文化家庭では時にアイデンティティの葛藤も生じがちですが、村竹選手の場合はそれをポジティブに昇華し、競技に生かしています。

「日本人らしい真面目さ」と「アフリカ系の爆発的な瞬発力」、この両方を併せ持っているのは、まさに両親からの“遺産”といえるでしょう。

彼の存在自体が、まさに多様性の象徴です。

現代日本の象徴でしょう。

そして、今後のスポーツ界において“国際的感覚”がより求められる中、村竹ラシッド選手のような人材は、まさに日本スポーツの未来そのものなのです。

まとめ

いかがでしたか?

村竹ラシッド選手が日本陸上界の歴史を塗り替える活躍を見せる背景には、トーゴ人の父と日本人の母という両親の存在が大きく関わっていました。

父は元陸上選手として専門的な視点からアドバイスを送り、母は精神面で寄り添いながら支え続ける。

まさに“最強のサポート体制”といえる家庭環境です。

そして、国際結婚という多文化的な家庭で育ったからこそ、ラシッド選手には柔軟な思考力や広い視野、そして世界に通用する個性が育まれたのではないでしょうか。

昨年のパリオリンピックでの決勝進出という快挙を皮切りに、世界陸上、そしてこれからも世界の舞台で活躍を続けるでしょう。

村竹ラシッド選手の未来を形づくるのは、まさにその「家族のルーツ」なのかもしれません。

これからも彼の走りと共に、その背景にも注目して応援していきたいですね。