VTuber界で注目を集める博衣こよりさんが、思わぬ形でSNS上の炎上に巻き込まれました。
発端は、お笑いコンビ・紅しょうがさんとのやり取り。
一見、ささいな投稿に思えたそのやりとりが、じわじわと火種となり、瞬く間にネット中へと広がっていったのです。
問題となったのは、たった一言の言葉選び。
そのニュアンスや背景が、受け取る側によって解釈され、反応が過熱。
賛否が飛び交い、共感や擁護の声と同時に、辛辣な意見や中傷までもが交錯する。
まさにSNS特有の“あの構図”が浮かび上がった瞬間でした。
ここで改めて浮かび上がるのは、タレントの発信力の強さ。
そしてそれを受け取るファンの感情の揺れ幅、さらには「ただの感想」と「攻撃的な中傷」との境界の曖昧さです。
この一連の出来事が本当に示したもの。
それは、単なる“炎上”という言葉で片付けるにはあまりに浅い、ネット社会の根深い構造そのものでした。
今、私たちは何を思い、どんな振る舞いが求められているのか。
その全体像を、時系列と共に追いながらひも解いていきます。
博衣こより炎上騒動とは?
2025年11月初旬。
ホロライブ所属の人気VTuber、博衣こよりさんが思いがけず炎上の渦中に立たされました。
発端となったのは、Xで投稿された視聴者の感想ツイート。
その“たったひと言”が、やがてネット全体を巻き込む大きな議論へとつながっていきます。
投稿主は一般ユーザーの@benishoga_ko さん(紅しょうがさん)。
感想の対象となったのは、こよりさんが配信していた『ファイナルファンタジータクティクス(FFT)』です。
そのツイートには、
「ストーリー読みが上っ面撫でる感じ」
「そのゲームが好きな人は結構キツい」
といった率直な感想が綴られていました。
これに反応したのが、当の本人である博衣こよりさん。
自身の名前を検索する、いわゆる“エゴサーチ”でこの投稿を発見し、
「上っ面撫でるって何かな?」と返信をします。
しかし、このリプライは後に削除されることとなりました。
そしてここから、思わぬ展開へ。
このやりとりが引き金となり、こよりさんのファンが一斉に@benishoga_koさんにリプライを送りつける“ファンネル”行為が発生。
結果として、アカウントが一時的に削除される事態にまで発展してしまいます。
騒動が拡大する中で、こよりさんは約3000文字におよぶ長文投稿を公開。
そこでは、誹謗中傷への警鐘とともに、自身の率直な心情が綴られていました。
さらにその後、謝罪文も投稿されることに。
こうした一連の流れを受け、ネット上では議論が過熱。
単なる炎上にとどまらず、
「タレントのSNS対応」
「批判と誹謗中傷の境界線」
「ファンのマナー」
といった、より広いテーマにまで話題が波及していきました。
一見すれば、ただの些細なリプライのやりとり。
でもその背景には、“言葉の重み”と“発信者と受け手の影響力の差”という、今のSNS社会が抱える本質的な問題が隠れていたのです。
では実際、どんなやり取りがあったのか?
次のパートでは、時系列でその詳細を追っていきます。
紅しょうがさんとのやり取り詳細

炎上の火種となったのは、一般ユーザーである@benishoga_ko さん(紅しょうがさん)による、博衣こよりさんのゲーム実況への率直な感想ツイートでした。
投稿されたのは2025年11月3日頃。
対象は、こよりさんがプレイしていた名作シミュレーションRPG、『ファイナルファンタジータクティクス(FFT)』です。
紅しょうがさんの投稿内容は、こんなものでした。
「博衣こよりさんってたくさん配信してるってのもあるからこなしてる感が強いな、
そのせいもあってストーリー読みは結構上っ面撫でる感じやな。
そのゲームが好きで見てる人は結構キツい。特にFFTみたいなゲームだとバレやすく感じる。」
文章全体としては個人の感想ですが、
「こなしてる感」「上っ面撫でる」という表現は、配信者にとっては刺さる言葉でもあります。
見る人によっては辛辣な印象を受けるでしょうし、SNS上ではこうした表現が予期せぬ波紋を呼ぶことも。
そんなツイートに、こよりさん本人が反応。
エゴサーチでこの投稿を見つけ、次のように返信をしました。
「上っ面撫でるって何かな?」
一見、やわらかな口調の一文。
ですが、「煽りでは?」という解釈が広がり、瞬く間に議論が勃発します。
特に問題視されたのは、人気VTuberという影響力の大きい立場で、一般ユーザーのハンドル名を明示した投稿に直接反応したという点。
これにより、紅しょうがさんのツイートが一気にファンの目にさらされることとなりました。
その結果、紅しょうがさんのもとには攻撃的なリプライが大量に殺到。
いわゆる「ファンネル攻撃」が発生し、精神的な負荷が高まった末に、アカウントを一時削除する事態へと発展します。
この出来事に対して、
「個人が感想を言っただけでアカウント閉鎖に追い込まれるのはおかしい」
という同情の声が急速に広まりました。
なお、こよりさんのリプライは現在は削除されていますが、これは紅しょうがさん側の元ツイート削除による自動消去です。
本人が意図的に取り下げたわけではないという点は、誤解のないよう押さえておきたいところ。
そして数日後、紅しょうがさんはアカウントを復活。
復帰後の投稿では、「こよりさんへの攻撃を意図したわけではない」と立場を改めて説明しました。
この投稿が再び注目を集め、議論の火はさらに燃え広がることになります。
「タレントの反応が軽率だったのでは?」
「スルースキルが足りなかった」
「ファンの暴走が招いた結果」
といった声が飛び交う中、
擁護派は、
「タレントも人間なんだから反応する権利はある」
「感情を押し殺して黙っていろというのは酷だ」
と支持を表明。
一方で、批判派は、
「影響力を自覚すべき」
「自分の一言で何が起きるか、予測できたはず」
と、責任を問う声を強めていきました。
双方の主張には一理あるように思えます。
しかし、この騒動の根底にあるのは、やはり“ネットにおける立場の差”と“拡散力の非対称性”ではないでしょうか。
今のSNSでは、たった一言のリプライが、何万人に届くこともある。
その現実が、ひとつの投稿をここまで繊細なものに変えてしまっているのです。
次章では、この騒動から見えてきた「SNS上の境界線」について、さらに掘り下げていきます。
SNSの境界線と今後の影響

今回の騒動がここまで広がった背景には、SNSという場の構造的な問題が色濃く表れています。
誰でも自由に発言できる反面、その“自由”には責任と影響力がついてまわるのです。
特に「ただの感想」と「誹謗中傷」の境界線は、見る側・言う側によって揺れ動くグレーゾーンであり、明確な線引きが難しいという現実があります。
そもそもの発端は、紅しょうがさん(@benishoga_ko)の一件の感想。
それに対して、こよりさんが「上っ面撫でるって何かな?」と一言リプライしたことで、一気に空気が変わりました。
この発言自体が煽りだったのか、あるいは素直な疑問だったのか。
そこには人それぞれの解釈が生まれましたが、結果として「煽りでは?」という認識が拡大し、ファンが過剰反応。
大量の攻撃的リプライが紅しょうがさんに押し寄せる、いわゆるファンネル行為が起きたのです。
とはいえ、こよりさん自身が「攻撃してほしい」と明言したわけではありません。
むしろ炎上後には約3000文字にも及ぶ長文で、これまでに受けてきた誹謗中傷やSNSにおける言葉の重さについて語り、
「タレントに何を言ってもいい世界じゃなくなりますように」と、注意喚起を投げかけました。
つまり、こよりさんは“煽った”のではなく、“止めようとした”。
それでも、彼女の持つ影響力の大きさが、結果的に「ファンを動かしてしまった」という構図は否定できません。
ここで改めて考えたいのが、SNSにおける“立場”の差です。
フォロワー数十万を超える人気VTuberが、一般ユーザーに直接リプライを送る。
その行為自体が、意図に関係なく、一種の“公開処刑”のように見えてしまうこともあるのです。
この問題は、こよりさんだけに限りません。
SNS上で一定の影響力を持つ全ての発信者が、今後向き合っていくべきリスクだと言えるでしょう。
一方で、ファン側にも責任があります。
どれだけ好きなタレントが反応したからといって、「自分が攻撃の一手になっていないか?」と立ち止まって考える必要があります。
SNSは感情が先走りやすく、匿名性もあってつい“正義の味方”になった気分になりがちですが、
その一言が誰かを追い詰め、消耗させるかもしれないことは、決して忘れてはいけません。
また、VTuberという存在自体が、ファンとの“距離の近さ”を武器にしているジャンルでもあります。
こよりさんのように、視聴者との関係を大切にしている配信者ほど、その距離の曖昧さがときに感情の暴走や過剰な擁護につながることも。
今回の騒動を受けて、XやYahoo!知恵袋などでは「VTuber 炎上」「ファンネルとは」といった検索が急増。
SNSリテラシーの再確認や、タレントとファンの関係性を見直す声も多く見られました。
こよりさん自身は、長文投稿に続けて謝罪文も発表。
「言葉選びに配慮が足りなかった」としつつ、自身の信念や活動への想いも丁寧に綴っていました。
その姿勢には「誠実な対応だった」と評価する声が上がる一方で、「運営側(カバー)の反応が見えない」という不満の声も一部から聞こえてきます。
いまやSNSは、「何を言うか」以上に、「どう伝わるか」が問われる時代。
でも、その“伝わり方”すら、自分の思い通りにはコントロールできないのが現実です。
だからこそ、今回のような一件は、単なる炎上事件では終わらせてはいけない。
VTuber業界だけでなく、ネット社会に生きる私たち全員に向けられた、ひとつの問いかけだと感じます。
まとめ
感想が交差し、反応が連鎖し、そして意図しない形でどんどん広がっていった今回の炎上騒動。
そこにあったのは、誰かを一方的に責めれば済むような単純な話ではなく、“立場”と“影響力”の非対称さという、もっと根深くて静かな問題でした。
紅しょうがさんとの何気ないやり取りをきっかけに浮かび上がったのは、SNSに常に漂う見えない緊張感、そしてそれに気づかずに交わしてしまう、日常の“言葉”の危うさ。
たった一言で揺れる空気。
その空気の中で、誰かが傷つき、誰かが立ち止まり、誰かが声をあげる。
この騒動を通じて見えたものは、決して炎上という一過性の現象だけではありません。
「発信する側」も「受け取る側」も、等しく問われる時代に私たちは生きているということ。
そして今、静かに幕を閉じつつあるこの出来事が、どんな問いを残していくのか。
その余韻は、まだしばらく――消えそうにありません。





