
「またか!」「さすがに今回は…。」
最近、安住淳氏の名前がSNSやニュースで目に留まった人も多いのではないでしょうか。
ベテラン議員としての立場と発言力、それに比例するように賛否が巻き起こる態度や言葉の数々。
なぜ“呼び捨て”という小さな一言がここまで注目されたのか?
その裏側にある、ちょっと見過ごせない“ある傾向”が今、再び話題になっています。
安住淳の態度は本当に悪い?
「態度が悪い」「偉そう」「感じが悪い」──そんな声が安住淳氏に対してSNSで目立つようになったのは、今に始まったことではありません。
ただ、2025年10月に玉木雄一郎氏を“呼び捨て”にした記者会見での発言をきっかけに、批判がさらに強まっています。

そもそも安住氏は、元NHKの政治記者という経歴を持つベテラン議員。
言葉選びや立ち振る舞いに厳格なイメージを持たれがちですが、国会や記者会見では“歯に衣着せぬ物言い”で知られています。
それが「実行力のある政治家」と評価される一方で、「上から目線」「言葉がキツい」といった反感も生みやすいのです。
当初は言い間違いとの見方もありましたが、「藤田君」「玉木」と続けざまに発言したことで、
「立場によって呼び方を変えているのでは?」
「相手を軽んじているように見える」
と感じた人が多かったようです。
SNS上では「礼儀知らず」「党の品位を下げた」といった批判も相次ぎました。
政治家としての印象を決めるのは、言葉の使い方ひとつ。
一部の擁護派からは「馴れ合い文化の延長」といった意見もあります。
とはいえ、公党の幹事長として発する言葉は、立場の重みや相手への敬意を常に問われるものです。
わずかな言葉遣いの違いでも、政治家としての印象を大きく左右します。
過去のエピソードにも、こうした評価に繋がる出来事が複数あります。
呼び捨て発言。
態度への批判。
そして、過去に報じられた疑惑。
次では、その中でも特に注目された「呼び捨て発言」と「過去の疑惑」について見ていきましょう。
呼び捨て発言と過去の疑惑

2025年10月、立憲民主党の幹事長である安住淳氏が記者会見で放った“呼び捨て発言”が波紋を広げました。
問題となったのは、国民民主党の玉木雄一郎代表を「玉木」、日本維新の会の藤田文武共同代表を「藤田君」と呼んだこと。
これが「相手を見下しているのでは?」という批判につながったのです。
記者会見という公の場で、連携を模索している他党の代表を敬称なしで呼ぶ。
これは単なる言い間違いと取るには難しいもので、複数の相手に対して同様の呼び方をしていたことが、「態度に表れている」と感じさせる要因となりました。
しかも、公明党の斉藤鉄夫代表には「公党の斉藤代表」と丁寧な言い回しで言及していたことから、明らかな“使い分け”があったのではと指摘されています。
藤田氏も会見後、「玉木は呼び捨てで、僕は“君”ですからね」と記者団に苦笑まじりにコメント。
玉木氏自身も「安住さんは昔から態度と口が悪いんですよ」と返すなど、当事者たちも若干呆れている様子が見受けられました。
玉木、呼び捨て発言。
その裏にある素顔。
この出来事がここまで大きく取り上げられた背景には、安住氏にまつわる過去の言動が積み重なってきたことがあります。
たとえば、新聞各社の記事を「100点」「くず0点」などと独自に採点し、その結果を壁に貼り出していたというエピソード。
これは主にNHK記者時代に話題になった逸話です。
取材対象や同僚に対する“圧”として受け止められ、「パワハラ的」「高圧的な態度」として語り継がれています。
また、東日本大震災の直後、地元・宮城の中継で被災者が「淳、助けてけろ」と呼びかけた場面がありました。
この中継で安住氏が「こっちが助けて欲しいぐらいだ」と発言したことが、「被災者への共感が足りない」「軽率な言い方だった」と批判を浴びたのも事実です。
小さな一言ですが大事な一言。
それが政治家としての信頼を揺るがす。
こうした一つ一つのエピソードが積み重なると、どんな発言でも「またか!」と思われてしまいます。
本当にただの言い間違いであっても、過去のイメージがフィルターのようにかかり、悪く受け取られてしまう――。
これは政治家にとって非常に大きなリスクと言えるでしょう。
さらに現代は、SNSでの拡散スピードが異常に早い時代です。
映像や文脈があっても、“一言”だけが切り取られて独り歩きしてしまう。
今回のような「呼び捨て発言」も、言葉の真意を汲む前に、態度や人格にまで話が飛び火してしまうのが今の世の中なのです。
ネット上では「礼儀がなってない」「敬意のカケラもない」「党の品格を疑う」といった声があふれ、擁護の意見はごくわずか。
過去の態度とリンクさせるようにして、非難の声は日増しに大きくなっています。
言葉づかい一つで、政治家としての信頼が揺らぐ。
その重みを改めて感じさせる騒動ではないでしょうか。
では、こうした態度や言動の背景には何があるのでしょうか?
以降では、「パワハラ的」とも言われる安住氏の言動の背景に迫ります。
パワハラ体質と批判の背景

安住淳氏に繰り返し向けられる「パワハラ的」という批判。
それは単なる失言や口調の問題を超えた、“態度全体”に対する不信感からきているようです。
では、なぜそこまで強い反発を招いてしまうのでしょうか?
安住氏は早稲田大学政治経済学部を卒業後、NHKの政治記者としてキャリアを積み、1993年に政界入りし、政治家歴は30年以上のベテラン議員です。
記者時代から情報収集力や政治感覚には定評があり、党内外から「頭の切れる実力派」として評価されてきました。
政治報道の現場で鍛えられた実務家。
しかしその一方で、「強引すぎる」「高圧的」といった印象を抱かれる言動も少なくありません。
とくに“部下や関係者への接し方”が「パワハラ的」とされるきっかけになったのが、新聞記事を『くず0点』から『100点』で評価し、それを張り出していたという有名なエピソードです。
この行動が象徴するのは「上下関係を明確にする管理スタイル」。
これはNHK記者時代に起きたとされており、複数の報道や関係者証言でも言及されています。
記事の質を独自にランク付けし、それを可視化するという行為は、職場内で“圧力”として作用する可能性が高く、「言論を軽視しているのでは?」と批判される一因にもなりました。
結果主義の象徴とも言えるでしょう。
また、国会運営の場でも“言葉の強さ”が目立つ瞬間があります。
たとえば2025年2月、文民統制に関する質疑中に、国民民主党の議員の発言を「誹謗中傷だ」と一蹴したことがありました。
この発言はSNS上で「正論だ」「毅然としている」と支持を集める一方、「聞く耳を持たない姿勢に見える」「議論を封じているようで怖い」と反発も招いています。
既に吉村と玉木の腹は決まっているのに、維新遠藤国対委員長の悪意のあるジョークに小沢一郎の執念が燃え盛り、榛葉幹事長の巧みな誘導で立憲民主党自らが分断工作を始める。玉木はのらりくらりと決められない振りをするだけ。安住淳は日々失言を繰り返してセルフネガキャンpic.twitter.com/LMPWDYYmx3
— また正義が勝ってしまった! (@Schwalbe_Kikka) October 15, 2025
引用元:また正義が勝ってしまった!のX
安住氏のこうした“ピシャリと遮る”スタイルは、一種のリーダーシップでもあります。
しかし、それが「相手を威圧する態度」と受け取られる場面も少なくありません。
とくに昨今は「対話」「共感」「寄り添い」が政治家にも求められる時代。
古き良き“歯に衣着せぬ政治家像”は、時に時代遅れと見なされてしまうのです。
SNSでは「職場にいたら絶対嫌な上司」「正論だけど怖い」「高圧的すぎて内容が入ってこない」といった声が散見されます。
一方で、「こういうタイプがいないと国会が締まらない」「忖度しない姿勢は貴重」と擁護する意見もあり、評価は真っ二つ。
真逆の評価を得ています。
加えて、立憲民主党が一部で「上から目線」「国民感覚とズレている」と批判される傾向があることも、安住氏への視線に影響しています。
幹事長という“党の顔”として前面に立つ存在である以上、その言動ひとつひとつが「立憲の本音」として見られてしまうのは避けられません。
つまり、「パワハラ的」とされる安住氏の態度は、単発の出来事ではなく、これまでの言動の積み重ねと、社会の価値観とのズレが重なって起きているといえます。
かつては「豪腕」と賞賛されたスタイルも、今の時代には“共感を得にくい”ものになっているのかもしれません。
そしてそのこと自体が、安住氏だけでなく、政党全体の支持や信頼にも少なからず影響しているように見えます。
強い言葉。そして厳しい姿勢。
ですが、それが相手にどう届くのか。
時代や空気を読みながら、言葉を選ぶ。
それこそが、今後の安住氏に求められる新しいリーダーシップではないでしょうか。
まとめ
安住淳氏の“態度が悪い”という評価
は、今回の呼び捨て発言によって再び表面化しましたが、そこには長年積み上げられてきた言動への印象が色濃く影響しています。
パワハラ的とまで言われる背景には、時代の変化や求められる政治家像のズレもあるのかもしれません。
信頼をどう築き直すのか?今後の振る舞いが注目されます。





