

河村たかしの離党劇は、ただの党内揉め事で終わらない。
日本保守党の屋台骨を揺るがし、百田尚樹の“鉄の保守”構想に影を落とす中、河村は減税日本の牙城から何を狙うのか。
地方票の鉄壁を武器に、都心保守層を切り崩す新勢力の台頭。
それが自民の牙城を崩す鍵になる?
一方、残された百田陣営は、SNSの炎上をバネに再生の道を模索。
支持者の心を二分するこの対決、2025年衆院選の行方を決める“隠れた火種”とは。
保守の未来を賭けた、意外な“連合”の兆しに迫る。
離党か解任かで意味が変わってくるのでこの違いはハッキリさせていこう。
河村たかしと保守党の関係
河村たかし氏と日本保守党の関係は、ただの「所属議員」というレベルではありませんでした。
河村氏は、名古屋市長として長年地元に根ざしてきた人物であり、地域政党「減税日本」の代表としても知られています。
その彼が、2023年に百田尚樹氏とともに日本保守党の共同代表に就任します。
名実ともに、党の顔の一人としてスタートを切りました。

保守党としては、百田代表の強い発信力と、河村氏の政治経験・地方での影響力という“二枚看板”で、全国展開を狙っていました。
実際、2024年の衆院選では河村氏を含む3名が当選。
党としての存在感を一気に高める結果となりました。
しかし、順風満帆に見えたこの関係は、次第にひび割れ始めます。
発端となったのは、党の運営方針に対する根本的なスタンスの違い。
河村氏は「地域主義」と「減税政策」を前面に押し出す現実路線。
対して百田氏は、より明確で全国的な保守イデオロギーの発信を重視していました。
たとえば、政策の優先順位や資金の使い方、候補者選定の基準など、細かい部分でズレが次々と浮き彫りになっていきます。
一見、ただの“方向性の違い”ですが、両者が党の共同代表という立場であったことが、事態をより複雑にさせました。
そして2025年9月下旬には、事態が一気に表面化します。
9月21日、日本保守党の竹上裕子衆院議員が突然の離党を表明。
「百田代表と河村共同代表のいざこざに耐えられなかった」
という理由を明かし、党内対立が一般に知られるきっかけとなりました。
まさに“内紛がバレた日”となります。


このタイミングからSNSでは「どちらが悪いのか」「そもそも保守党って何がしたいのか?」といった疑問や不満が飛び交うようになります。
ちなみにこの時点で、河村氏はまだ離党の意志を明言していません。(9月21日時点)
しかし、河村たかし氏は党との距離感を明らかにし始め、「減税日本」との関係を再定義する動きが見え始めていたのです。
なぜ、ここまで関係がこじれてしまったのか?
次の見出しでは、いよいよ核心に迫る“離党の理由”に切り込んでいきます。
河村たかしが離党した理由
「結局、なぜ離党したのか?」
この疑問に、河村たかし氏自身は「しかるべく決断」とコメントしていますが、実際にはそれだけでは済まされない複雑な背景がありました。
まず最も大きな理由は、党内での“扱われ方”に対する不満と不信感です。
もともと共同代表として立ち上げから党を支えてきた河村氏ですが、
2025年9月30日、突然、日本保守党の執行部から「共同代表を解任する」との通告を受けます。
これに対し、河村氏は激しく反発。
「自分は何も悪いことはしていない。応援してくれた人たちに申し訳が立たない」として、即座に文書で抗議。
さらに「分党か、解党も辞さない」という強気な姿勢を見せました。
つまり、離党のきっかけは“解任通告”でしたが、そこに至るまでの積もり積もった不満が爆発した形です。
とりわけ、党運営の中で自分の意見が通らなくなってきたことへのフラストレーションは大きかったと見られています。
河村氏が重視する地域密着型の政策や、「減税日本」との連携を深めたいという方針が、徐々に軽視されるようになっていったのです。
たとえば、衆院選後の選挙戦略をめぐっては、地方組織を活用した戦術を提案していた河村氏に対し、
百田氏側は「SNS戦略や影響力ある人物の発信力で勝負するべきだ」と真っ向から対立。
これが次第に「意見の違い」ではなく、「無視されている」「排除されている」という感覚につながっていったのかもしれません。


さらに衝撃的だったのは、2025年10月3日、河村氏が百田尚樹代表を脅迫罪などで刑事告訴したことです。
告訴状によると、百田氏が「俺が殴ったら死ぬぞ」と発言したことが、河村氏にとって脅迫にあたると判断されたとのこと。
これが事実ならば、単なる“党内トラブル”のレベルを超えています。


もちろん、百田氏側はこの発言の意図を否定しており、今後の法的判断が待たれますが、いずれにしてもここまで関係が崩れてしまった以上、同じ党で活動を続けるのは困難だったと言えるでしょう。
このように、離党の理由はひとつではありません。
解任通告、意見の軽視、発言トラブル、地域路線と全国路線の摩擦
これらが複雑に絡み合って、最終的に「離党」という選択肢に至ったのです。
そして河村氏は、離党と同時に「新党設立」にも言及。
つまり、政治家として“再出発”を決意したというわけです。
では、百田氏との関係は今後どうなっていくのか?
そして日本保守党はこの分裂劇を乗り越えられるのか?
百田尚樹との内紛と今後
ここまでの流れを見て、「結局、河村たかしと百田尚樹はどこで決定的に仲違いしたの?」と感じている方も多いはずです。
実は、この2人の関係には、政策や理念の違い以上に、**「信頼関係の崩壊」**が色濃く影を落としていました。
最も象徴的だったのが、2025年10月3日に河村氏が百田氏を脅迫罪で刑事告訴したというニュースです。
「俺が殴ったら死ぬぞ」──百田氏のこの発言が、河村氏にとっては決定打となったようです。
もちろん、この発言の真意や文脈については今後の法的判断を待つ必要がありますが、共同代表という立場の2人の間でここまで関係が悪化したとなれば、もはや修復は困難と言わざるを得ません。
実際、SNS上ではこの一件をきっかけに、党内の空気が一変しました。
日本保守党の支持者たちは、
「これで虫下しが終わった」
「ようやく足かせが取れた」
といった百田氏側を擁護する声を多く投稿。
一方で、
「河村さんの功績を無視していいのか」
「ここまでやるのはさすがにやりすぎでは?」
と、河村氏への同情や擁護の声も一定数見られました。
つまりこの内紛、完全に“党を二分する分裂”を引き起こしているのです。
では、この先どうなるのか。
まず百田氏側の日本保守党は、河村氏の離党によって短期的には“すっきり”したように見えます。
実際、党内では「体制を立て直すチャンス」「方針が一本化できる」という前向きな声が出ています。
しかし、楽観視できる状況ではありません。
なぜなら、今回の騒動で党内の“内ゲバ体質”が露呈してしまったからです。
政党としての信頼性や安定感を重視する有権者にとって、「あの党はまた揉めるのでは?」というイメージは、なかなか払拭できるものではありません。
一方の河村氏はというと、**「新党立ち上げ」**の準備に動き出しています。
すでに「減税日本」という地盤を持つ彼にとって、新たな政治グループをつくることは決して難しいことではありません。
むしろ、保守党ではやりにくくなっていた地域密着型の政治や減税政策を、再び前面に押し出せる機会とも言えます。
ただし、支持層の分裂や「裏切り者」というネガティブな声も多く、簡単に再浮上できる保証はありません。
今後の鍵は、「河村氏がどんな仲間を集め、どんなビジョンを掲げるか」にかかっています。
最終的にこの内紛は、日本保守党という政党の“再構築”と“再評価”、そして河村たかしという政治家の“再出発”という2つのストーリーを生み出しました。
果たしてどちらが正しかったのか?
誰が党を割ったのか?
その答えを出すのは、有権者である私たち一人ひとりなのかもしれません。

まとめ
河村たかし氏の日本保守党離党は、単なる人間関係のトラブルではなく、党の理念や運営方針の根本的なズレ、そして信頼関係の崩壊が引き金となった深刻な内紛でした。
百田尚樹氏との確執が表面化したことで、党の分裂は避けられない情勢に。
今後は河村氏の新党構想や保守党の立て直しなど、それぞれの動きが注目されます。
国民の声が、両者の行方を左右する鍵となりそうです。