映美くららは本名なの?名前の由来や宝塚から今の活躍まで徹底解説!

映美くらら
引用元:ナタリー
映美くらら(えみ くらら)といえば「相棒シリーズ」や「おちょやん」に出演され、

今は「イグナイト 法の無法者」や

大河ドラマ「べらぼう」にも出演している人気女優の一人です。

今回は、映美くららの名前は本名なのか?

また名前の由来や活躍について紹介したいと思います。

映美くららの本名は?

映美くららの本名は「本山麻衣子(もとやま まいこ)」さんです。

1979615日生まれ、熊本県菊池郡菊陽町出身で、身長は159cmです

芸能のキャリアスタートは宝塚歌劇団から始まりました。

宝塚歌劇団時代から現在に至るまで、

その美貌と実力で多くのファンを魅了し続けています。

本名の「本山」は結婚前の姓で、

2015年に会社経営者の男性と結婚されています。

なのでまた名字は変わった可能性があります。

芸名「映美くらら」の由来は?

宝塚時代の映美くらら
引用元:宝塚専門チャンネル
宝塚歌劇団に入団すると芸名を付けます。

歌劇団では本名の使用ができないため、

芸名を自分や家族、恩師と一緒に考えるのが一般的です。

映美くららさんの「くらら」は学校時代の恩師が、

「映美」はお母様が名付けたものです。

この芸名には「美しく映える聖女クララ」

というイメージが込められており、

響きの美しさや覚えやすさも意識して名付けられました。

名前からも美意識の高さが伺えますね。

幼少期から宝塚入団まで

映美くららさんは幼い頃からバレエや日舞などの習い事に親しみ、

熊本信愛女学院高等学校を卒業後、2度目の挑戦で宝塚音楽学校に合格しました。

宝塚に入るきっかけは修学旅行で宝塚歌劇を観劇したことです。

そこで「ここに入りたい」と感動したことが夢のきっかけでした。

1999年に85期生として宝塚歌劇団に入団します。

入団時の成績は40人中11番と優秀で、初舞台は雪組公演『再会/ノバ・ボサ・ノバ』でした。

夢を叶えるために全集中したのでしょう。

そこから彼女の夢物語がはじまりました。

宝塚時代の活躍

白い服の映美くらら
引用元:宝塚専門チャンネル
入団3年目という異例の早さで月組トップ娘役に抜擢されます。

トップ娘役で紫吹淳さんの相手役として一躍注目を集めました。

その後も彩輝 直(あやき なお)さんの相手役を務め、

2004年に惜しまれつつ退団します。

宝塚時代の代表作には

『長い春の果てに』

『大海賊/ジャズマニア』

『飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛II』などがあります。

歌・ダンス・芝居すべてにおいて高い評価を受け、

まさに実力派娘役としてファンに愛されました。

宝塚歌劇団での活動はわずか5年足らずだったのですね。

まぁ、入団が高校卒業後2年経過しているので、

退団時が25歳くらいでしょうか。

キャリアチェンジするにはいい年齢だったのでしょう。

退団後の女優活動と私生活について

素顔の映美くらら
引用元:スポニチ
宝塚退団後はイー・コンセプトや

ジャパン・ミュージックエンターテインメントに所属します。

ドラマ・映画・舞台・CMなど幅広く、活躍されています。

主な出演作には

『相棒』

『警視庁捜査一課9係』

『純と愛』

99.9-刑事専門弁護士-

『おちょやん』

『ラストマン-全盲の捜査官-』など、国民的人気ドラマが並びます。

またプライベートでは2015年に5歳年上の会社経営者と結婚し、

2017年に長男、2019年に長女を出産しました。

現在は2児の母として育児と女優業を両立し、

インスタグラムでも日常や育児の様子を発信しています。

引用元:映美くらら公式インスタグラム

まとめ

映美くららさんの本名は「本山麻衣子」でした。

芸名は恩師と母親によって名付けられ、

「美しく映える聖女クララ」という意味が込められています。

宝塚時代から現在まで、実力と美貌で多くの人を魅了し続けています。

今後もさらなる活躍が期待される注目の女優さんです。